vol.03

週末縄文人
縄さん 文さん

縄文文化のおおらかさや人間力、創造性の高さにシンパシーを抱いている我々としては気になる存在である「週末縄文人」の縄さんと文さん。
同じ会社で働いていたふたりがビジネススーツに身を包み、現代の道具を一切使わず自然にあるものだけでゼロから文明を築く。それが「週末縄文人」。
創造力と行動力にあふれるセンパイ、多忙な仕事を持ちながらも趣味全開でタフなセンパイとして、お話をうかがいます。

週末縄文人

都内の映像制作会社に勤務する同僚のふたりが、「自然のなかで自力で生活をしてみよう」と始めたユニット。2019年に開設したYouTube「週末縄文人」は、ただいま登録者数13.6万人。書籍『週末の縄文人』(産業編集センター)も発売中。
縄(じょう) 1991年秋田生まれ。大学時代にワンダーフォーゲル部に所属し、学生生活の多くの時間を山で過ごす。趣味は釣りと料理。より自然に近い場所で生活をするため、長野へ移住。
文(もん) 1992年東京生まれ。幼少期をアメリカ・ニュージャージー州やアラスカ州で過ごす。趣味は読書と美術館。

ずるをしてしまったら、 自分たちがおもしろくないんです。

お邪魔した日は、失敗続きだったという縄文式土器をいよいよ焼くという、緊迫感漂うタイミング。焼き方は、縄文時代に行われていた「野焼き」。焚き火に土器を突っ込むというシンプルさだが、火をおこすことも大変なこと。

今日は、週末縄文人さんの活動の場である長野県の山中にお邪魔しています。

縄センパイ
遠いところまで来ていただいてありがとうございます。今日は、縄文式土器を焼く予定です。

竪穴式住居を建てることを目的に「平坦で石がなく、砂っぽくないところ」を条件に場所探し。運よく、長野県にある親戚の土地を借りることができたとか。広大な面積を聞くと、なんと約5000平米!

現代の道具を一切使わないという前提なので、炉を掘るのは手か鹿のツノ。燃料となる薪は周囲の森からよく乾いた枝木を大量に拾い、樹皮を石で削って着火剤をつくる。そして、チャッカマン、ライターなどはもちろんないため、「キリモミ式」で火をつけるのだ!

焚き火炉を作り薪を自力で集め、そして、火を自分でおこす。考えただけで気が遠くなる作業ですね。今日はYouTube用の撮影とのことですが、カメラに映らないようなところも現代の道具を使わず縄文時代にある道具、技術でやってらっしゃる!

文センパイ
そこをずるしてしまったら、自分たちがおもしろくないんです。仕事もしながらなので、動画の編集、YouTubeの更新もものすごく時間がかかってしまいます。

軍手やトングは縄文時代にはないため、素手!おふたりの手は傷ややけどによる水疱だらけ(涙)。「土をこねたりするのに親指をめちゃくちゃ使うので、タコもすごいです」。

そもそもの質問なのですが、土器、石斧、縄、竪穴住居まで手づくりしたりと、どうして「縄文文化の再現」を始めたんですか?

縄センパイ
最初は、務めていた映像制作会社の企画として考えていたものなんです。「現代文明が滅んだという設定で、自然にあるもので便利な道具を作れるか」みたいなことをやりたかったんですね。発電したり、薬草を使って腹痛を治したりとか。学生の頃、影響を受けたテレビ番組で『いきなり!黄金伝説』『ザ!鉄腕!DASH!!』がありました。無人島で魚を獲ったり、米作りをしたり。そういう達成感、熱量みたいなものを映像で撮りたかったんです。その企画は通らなくて、それなら自分でやりたいなという思いから、文を誘ってやり始めたというのが始まりです。

文センパイ
僕は都会の消費生活にモヤモヤしていて、禅寺に通ったこともあったんです。そんなとき、縄から「山で遊ばないか」と声をかけられたんですよ。縄文時代に興味があったというよりは、自分と全然違う文明に関心があったんですね。

「自然の移り変わりを体感したい」と最近、転職をして長野へ移住した縄さん。映像制作関係で、リモートワークができる職場を選んだ。「火おこしに使えるセイタカアワダチソウが乾き始めてるだとか、その素材が役に立つタイミングがわかる。登山をしていたときより、今の方が自然のことをよく知れている気がして嬉しい」

縄センパイ
ふたりとも自然が好きなんですよ。文ならつきあってくれるだろうと。僕は大学時代ワンダーフォーゲル部にいたんです。登山をしていても、自分は自然を表面的にしか見れていない感覚に陥ってしまって。自然の上澄みだけを楽しんでいるような気がしていたんですよね。

共感したのが、サバイバル登山家の服部文祥さん。服部さんがヒマラヤに行ったときに、自分たちは食料や燃料、服装も完全な装備で山に登るわけです。でも、その荷物をベースキャンプまで運んでくれるシェルパの人たちは裸足だったり簡素な服だったりで、シェルパの人たちの方が登山家である自分よりもよっぽど強いと感じて、それまでの現代的な登山の仕方をやめたそうなんです。それから服部さんは道具に極力頼らず、自力で岩魚を釣り山菜をとり、ときにはクマを撃ったりして、食料を現地調達しながら長期で山行するスタイルになったと本で読んで、自分もこういうふうに自然と共に生きたいなと思うようになったんです。

「自然と生きる」ですか。週末縄文人さんの活動には、深い理由と渇望があるのですね。相方の文さんのプロフィールを見るとアメリカのニュージャージー州、アラスカ州で幼少期を過ごした、とあります。アラスカというと大自然でアウトドア好きの憧れの地、というイメージがあるんですが、子どものころから自然との接点はあるんですか?

文センパイ
いや、アラスカは数ヶ月過ごしたくらいなんです。住んでいたニュージャージーはけっこうな都会で。ただ、近くにめちゃくちゃ大きい国立公園があって、自然は圧倒的でした。手付かずの自然の中でバケツを持ってブルーベリーを摘みながら散歩したりジャムを作ったりっていうのは、自分の原風景ではあるな、と感じています。

なるほど。YouTuberになりたかったわけではなく、お仕事として選ぶほど好きな映像を作る作業と、自然やそのなかで人間が築いてきた文明が好きで始められて今に至るんですね。

しっかりタイパは追求します。 きっと縄文人もそうしていたはず。

YouTubeを拝見していると、試行錯誤の連続で、特に土づくりから始めた土器作りは失敗を重ねてらっしゃいます。

縄センパイ
土器だけでなく、竪穴式住居も含め、すべてが最初は失敗しているんです。
「縄文作業3倍の法則」なるものがあるな、とわかってきました。
始めたばかりの頃は、現代人の知識を持ってすれば、縄文時代なんてすぐにクリアできると舐めてましたね。火をおこしたり、石斧を作るのに石を探して研ぐのに、とにかく時間がかかる。1時間で終わると思っていても3時間。3日で終わると思っても9日はかかる。丸腰で自然に対峙したときの人間の非力さについて何も知りませんでした。

作った土器は乾燥させて、ようやく野焼きへ。何度も失敗を経てやっとの思いで理想的な土を作りかたちにしても、野焼きをしたら原因不明で破裂してバラバラになってしまうことが続いた。ちなみに、草で編んだ敷物は、土器が石にくっつかないためのラップがわり。

最近、「タイパ」(タイムパフォーマンス:短い時間で高い満足効果を得る度合い)が重視されているとよく聞きますが、おふたりのやってらっしゃることは「タイパ」とは無縁のようです。

文センパイ
僕たちも平日働いていて、なるべく時短で少しでも多くのことをこなすという働き方は息が詰まるなと思っています。でも、週末縄文人でやってることも、効率は追求しているんです。というのは、木を切るときに、鋭い石だったら木を切れないことはないんですよ。だけど、1時間かかると、さすがにしんどい。もっとはやく切れた方が、たくさん木が手に入る。だから、石斧を作るわけです。ゆっくりやってるから、僕たちはタイパから自由なように見えるんですけど、しっかりタイパを追求していて。かつての縄文人も、タイパは重視していたと思います。

これが石斧。木のくぼみに石をはめただけのように見えるが、決してそうではない。丈夫な石を探し平らなザラザラした石のうえに置いて、包丁を研ぐ要領で、ひたすら削り磨く。
その作業は、ぶっとおしで6時間。文さんの集中力の高さ、粘り強い性格のうえにできたもの。

文センパイ
縄文人も、なるべく効率よく合理的にっていうのは絶対あったと思うんです。一方で、1時間かけて1本の木を切るなかに、すごく豊かな強いものがあるなって思っていて。春先に木を切ると、冬の間にためた水分が水しぶきをあげて吹き出てくるんです。「この木、めっちゃ生きてる!」ってすごく驚いて、切り倒すことが申し訳なくなるような感覚があって。チェーンソーで切ってたら1秒ぐらいで切れるような太さなんですけど、チェーンソーだったらそれは感じられなかったことだなって。なので、タイパは合理性を追求してはいるけれど、本来その作業、その目的を達成するために必要な時間があり、その時間としっかり向き合うことには、すごく価値がある。そういうことが積もって、この縄文活動はいいなって思ってます。

効率を追求しているから、いろんな工夫をする。そうして時代ごとにさまざまな技術が発展してきた。縄文時代に生きた人々も、そうしてきたわけですもんね。

文明は一人にしてならず。 ふたりだからできることがある。

YouTubeでのおふたりを見ていると、失敗したりショックなことがあっても思いやりのある声をお互いにかけあっていて優しい世界が展開されているように思います。

文センパイ
確かに僕だったらひとりだけでは、こういうことはできないですね。すごくしんどいし、文が声をかけてくれるから頑張れる。最後のひと踏ん張りができる。

縄センパイ
ふたりでやっているからこそ、できることはありますね。
職場の上司が会社を辞めるときに「文明は1人にしてならずなんだね。ふたりだからできるんだなって思ったよ」って言ってくださって。
たとえばYouTubeの撮影をするとき、1人が作業して、もう1人はカメラを通してその作業を見てるんですよ。そうすると、「もっとこうしたらいいんじゃない?」という客観性が生まれる。一人で黙々と作るよりも、誰かの客観的な意見を取り入れた方がうまくいくのは、活動を通して常々感じています。

文センパイ
あと、ふたりの性格がけっこう違うんです。「竪穴式住居」の動画を見てくださったらわかるかもしれないですけど、僕はどっちかというとクオリティにこだわりたくなるんです。完璧なものを作りたいっていう気持ちがすごく強くて。それができるなら、納期はどうでもいいみたいな。でも、縄はちゃんと納期も見越した上で、スケジュールを見て落とし所を考えられるタイプ。そのお互いの抜けてるところ、出っ張ってるところが、いい具合に補い合って成り立ってるんだろうなと思います。

こねてつぼ状に形成した土器に、縄文式にならって文様をつけていく。「土器というものは脆く、縄は強い。縄文人はそんな縄を土器に押し付けることで、その強さを土器に宿したいという願いがあったのではないんでしょうか」(文さん)。そんな気づきを聞いた縄さんも激しく共感。叫びたいような失敗をともに繰り返してきたふたりだからこそ、深い共感があった。

ご自分達に、”まぬけ”を感じることってあります?

縄センパイ
僕らがやっていることって、まぬけだと思うんです。なんでこんなに手間かかることやってたんだろう、と振り返るとまぬけそのもの。今、お互いを客観的に見られるといいましたけど、相手をまぬけだなと思って見ていたり、ふたりともまぬけになってたりとか。でも、当人たちはそうだと思ってない(笑)

文センパイ
まぬけ要素があるからこそおもしろいと思っていて。まぬけだから失敗できるし、失敗できるから自分の頭を使って試行錯誤できる。それがうまくいったときにめちゃくちゃ嬉しいっていう。だから、まぬけであることは、喜びを感じるためにすごく必要な条件だと思いますね。

最後に、一歩先を行く「まぬけのセンパイ」として、後輩へのやさしい声かけをお願いします!

縄センパイ
僕たちがYouTubeをやっているのって、実は同じようにやってもらいたくて作ってるんですよ。作り方や材料、全部わかるようにはしているんです。ふとこれを見て、庭の粘土でも焼けるかも、このまっすぐな枝なら火をおこせるかも、次の週末火おこしてみようかな、みたいな人がちょっとでも増えたらいいなと思ってます。

文センパイ
去年の夏、神奈川の小学校の6年生の生徒さんが僕たちの動画を見て、火おこしをやったんですって。なかなか最初はうまくいかなくて大変だとメッセージをもらって、すごく嬉しくて会いに行ったんです。会いに行ったときにはもう、火おこしできるようになっていたんですよ。

縄センパイ
僕たちもすごく嬉しくて。一番やりたいことはこれだなと思いました。実は移住するための転職があまりスムーズいかなかったんです。それでも、こういう嬉しかった経験を忘れないようにしたから、理想的な暮らし方と働き方ができるようになった。なにかやりたいことがある人は、”これを一生続けたい”って紙に書いておいたりして、その気持ちを忘れないようにしてほしい。めげそうになったらそこに立ち返るみたいな。その体験を大切にされるのがいいんじゃないかなって思います。

間があって、貫けがある。
間貫けのハコへ、おかえりなさい。

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